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博士号への道のり 2003年度版

 

早稲田大学 大学院理工学研究科 情報科学専攻 版

Last update: January 9th, 2006.

 

私が学位を取るまでの間、首藤さんのサイトは本当に役立つものでした。 首藤さんの学位取得から3年が経ち、2002年度には大学の制度や製本屋の場所などが、少し変わりました。 また、私は「2003年3月に課程内卒業」、「2003年9月に学位授与式」という、ぎりぎりのスケジュールを踏みましたが、これは一般的なスケジュールではありません。(特に就職活動を前提にすると、もっと早くアクションを起こすべきです。)

しかし、会社経営をしている立場として、これ以上の長い期間、仕事の時間を犠牲にして、論文を書いていることは、非常に危険な状態でしたので、ぎりぎりでも「課程内卒業」を得られたことには、重大な意味がありました。

そこで、自分の体験をもとに、博士号を取るまでの経緯を記録していたものを掲載します。 後輩の方に役立てれば幸甚です。

※早稲田大学理工学研究科の正しい学位取得手続きに関する書類は、以下のサイトにあります。
http://www.sci.waseda.ac.jp/office/doctor/hakuronindex.html


1.博士課程への進路選択。

私は、修士2年の5月まで、就職しようかと思い、そろそろ活動しようかと考えていました。博士課程に進むことにメリットがあるとは言え、理工系の大学院は学費が高く、自分で学費も家賃も支払っていくことは大変です。2000年4月~2003年3月 の時点で、学費の金額は以下のように設定されていました。

学年 前期 後期 合計
D1 357,200円 322,700円 679,900円
D2 342,550円 342,550円 685,100円
D3 349,800円 349,800円 699,600円

修士までの間の負担も考えると、通常は多くの学生が就職をすると思います。私の場合、そのような道を結果として選ばなかった要因として、起業したかったということが大きな部分を占めていました。実際には、以下のような背景があります。

何度も迷った挙句、最終的に博士課程を決断したときは、花道が開けていく 映像が頭に浮かびました。 教授のところに伺って、「もう3年、先生のところで学ばせてください」とお願いしました。これが自分の人生の大きな分岐点だったと思います。

 


2.B,Mの方で、

  博士号を考えている方へ

学部生、あるいは修士課程の早い段階で博士号の道を考えている方は、可能な限り多くの論文、発表を重ねることをお奨めします。

私は後から気が付いたのですが、B4,M1の期間で、論文誌、国際会議、一般講演、特許等の業績を合計11件あげていたことは、とても幸運なことで、博士後期課程中の生計を立てていくための色々な助成制度に申請する際に有利でした。

また、実績の上に、新たな実績が重なっていくのが、この研究者の世界の特徴だと思います。一度、何かの助成制度の審査に合格した人は、助成金や奨学金でより良い実績を上げるための環境を作れます。この結果として得られる、新たな実績を掲げて、別の助成制度やコンテストに応募すると、再び有利な条件で合格する可能性は高くなります。

実際、私は以下に述べるような助成金を頂いて、博士後期課程中3年間で、大きな金額の奨励金、助成金、奨学金、コンテスト賞金を頂いて研究することができましたが、人生の中で、そのような機会は、2 度と来ないと思っています。 本当にありがたい機会を頂きました。

 


3.博士後期課程中の生計の立て方

東京で独りで暮らしていくのは、とてもリスクが大きいです。私は大学入学時に、福岡から上京してきたのですが、多くの博士課程の人はすでに家庭を持っているか、自宅からの通学でしたので、自分の境遇を非常に不安に思っていました。

早稲田大学の場合、博士課程の学生が生計を立てる手段として、以下のような選択肢が考えられます。

  1. 学科の助手
  2. 日本学術振興会特別研究員(DC1)
  3. メディアネットワークセンター(MNC)の助手
  4. 大学の奨励金・奨学金

1.は、D1には、なかなか機会が得られません。
2.は、倍率20倍程度、年間で国家全体で1,000人程度選出されます。申請までに、ジャーナル論文を1件通しておくと有利だと言われています。
3.は、毎年1~2名くらいの枠があります。
4.は、1~3に選出されなかった方に、大学側から年間200万円程度の支援があります。

よって、十分な収入を得るためには、2か3の選択肢が良いと言われます。以下に比較します。(MNCの助手は首藤さんのサイトを参考にしました)

  学振特別研究員(DC1) MNC助手
月収

205,000円

任期中に学位を取ると、379,000円

214,000円
ボーナス なし 3ヶ月分
研究費

科研費 100万円/年 (分野によっては150万円)
DC奨励費(大学側が設置) 60万円/年

42万円程度の個人研究費
出張補助費約20万円
科研費の申請可能

その他手当て なし 学費免除、通勤費
任期 3年間 2~3年間
義務

研究に専念すること。毎年、数ページの研究報告書を提出。 基本的に常勤の仕事はできない。

配属部署の仕事

どの道が得かというのは、人によって異なると思いますが、私は、学振特別研究員に選んで頂きましたので、そちらで生計を立てて行きました。助手と比較して、より時間を自由に使えるという利点は、私にとって、重要なことでした。

ちなみに、2000年頃、私の住環境で独り暮らしをする際に、必要な生活費は、以下のとおりでした。

毎月の費目 金額
家賃(新宿区高田馬場1Rアパート) 70,000円
年金、国民健康保険 23,000円
公共料金(電話、水道、ガス、電気)

15,000円

学費貯金(毎月) 50,000円
食費 30,000円
その他(交通費、交際費、雑費)

30,000円

もちろん、上記の金額はぎりぎりの生活をした場合で、医療費や帰省時の飛行機代、旅行代は含みません。そこで、実際には、常勤でない仕事を行わざるを得ませんでした。私はコンピュータ会社のコンサルタントなど、いくつか非常勤の仕事を持っていたことと、ソフトウェアコンテスト等で得られる臨時収入があったことで、生活を送ることができていました。

 


4.学位審査の基準

学位論文の審査資格基準を満たした者は、学位論文を、複数の教授 に審査して頂けます。この審査資格基準について、厳密な定義を、私は遂に知ることなく学位を頂いたのですが、大枠としては以下の通りだそうです。

1.課程内 (ジャーナル論文 2件、このうち、1件は査読付き国際会議で可。)
2.課程外 (ジャーナル論文 5件)

1.の基準については、博士課程に入ってからの業績が必要で、それまでの業績はカウントされないことに注意が必要です(後述しますように、これが私の学位取得をぎりぎりまで延長してしまった要因になりました)。また、実際に博士号を取得している方々の業績を見ると、この審査基準よりは多くの業績を達成している場合がほとんどだそうです。

2.の基準については、以前は 8 件くらいのジャーナル論文が必要だと言われていました。5件で良いのかどうかは定かではありませんが、審査員の心象を考えると、多いことに越したことはないと思います。

これらの業績を満たし、学位論文の草稿が完成した段階で、 学科の「教室会議」の場で主査の教授(通常は自分のお世話になっている研究室の教授)から、審査の提案をして頂いて、学位審査が始まります。

 


5.学位審査の流れ

学位論文の審査は、多段階に行われます。つまり、以下の赤字の部分で、何度も審査を受けますが、この途中のどの段階で否決されても、学位取得はできません。

1.学位審査基準を満たし、学位論文の草稿を準備
2.「教室会議」の場で、主査の教授から他の教授に対して、審査のご提案を頂く。
3.「予備公聴会」で教授陣の前で発表。口頭諮問。
4.「学位申請」。工研事務所に履歴書などの書類を提出。
5.「公聴会」
6.論文製本。
「審査分科会」での審査。
8.「工研委員会」での最終審査。

9.学位決定

この間、3ヶ月程度かかりますので、3月上旬に学位決定し、 課程内で卒業したい場合は、「11月上旬の教室会議」が最後のチャンスとなります。この日より前に、審査基準を満たし、論文の草稿を作成しておく必要があります。

 


6.実際のスケジュール

私の学位取得までのスケジュールは以下の通りでした。

「審査基準を満たすまでの課程内の業績」

 1.2000年9月:査読付国際会議(ICMC2000)

 2.2002年5月:査読付国際会議(IWEC2002)

 3.2002年12月:査読付国際会議(WEDELMUSIC2002)

 4.2002年12月:論文誌採録決定(電子情報通信学会)

上記のうち、実際に必要なものは、1~3のいずれかと4.ですが、4.は本当に奇跡的にぎりぎり採録決定になりました。以下、私が学位取得する最後の半年間の具体的な日程です。この間、会社経営で重大な局面をむかえ、嵐のような毎日でした。後輩の方には、このような綱渡り人生は送って欲しくないと願っています.

 


「審査基準を満たすまでの毎日」

●2002年9月28日(土)

研究室ゼミの終了後、先生に博士論文の執筆を行いたい旨を伝える。このとき先生からは以下のようにお返事が。

「ところで、君、論文(論文誌)はどうなったの?」

この時点での私の研究実績は、論文誌1つ(修士時代のもの)、国際会議3つ(うち1つは修士時代のもの)だったが、 論文誌は修士時代のものは、無効となることが判明。 つまり、博士過程の実績として、新しく論文誌に 投稿しなければならない。 しかも、迅速に「採録決定」を もらわないといけない。。。

当然のことながら、今年度卒業は無理なのか? と嫌な予感がよぎる(論文は投稿から採録・掲載までに6ヶ月前後かかると言われています。 長い場合は、査読に8ヶ月以上かかるそうです)。本来ならば、10月に学位論文の草稿を執筆し、11月に学位申請しないと年度内卒業は無理なので、とても難しい状態に陥ってしまっていたことを、この時期に自覚しました。

先生曰く、

「人生は人生だから。」

 

●2002年10月3日(土)

本来ならば、博士論文を執筆するために確保していた貴重な1週間(会社経営上、1週間を論文に確保するのは、とても危険極まりない状況です。)を使って、 投稿論文を執筆し電子情報通信学会に投稿。 「間に合ってくれ!」と強く祈る。

 

●2002年11月20日(水)

投稿していた論文が、「条件付採録」となった通知を受けたので、 先生に御報告。 12月下旬の教室会議にて、「本審査は論文採択を条件とする」ことで、 予備公聴会 の実施を認めてもらうように、ご提案頂けるとのこと。 つまり、正式な「採録決定」が必要なため、急いで論文の修正に入る。 この時点で、「年度内卒業は無理かも。」と思う。

 

●2002年12月5日(木)

投稿論文の再投稿。翌日から国際会議で欧州に出張だったため、 この日が実質、最後のチャンスでした。 しかし、こんな大切な時期に、国際会議に出張するというのは・・・。

 

●2002年12月6日(金)~12月16日(月)

欧州学会出張。ドイツはマイナス3度~マイナス20度の世界。ホテルに2日間缶詰になりながら、英語の oral presentation の資料を作り、発表練習を行う。投稿論文の採録を祈る。

 

●2002年12月19日(木)

欧州から戻るや否や、投稿論文の「採録決定」通知を頂く。 (迅速に査読を行ってくださいました査読者の方に、深謝致します。) 急いで先生に御報告。 この時点で、ようやく、博士論文執筆の要件を満たしました。 1週間後の教室会議に間に合うように、学位論文を本格的に執筆開始!

(注)通常、就職活動を行う方は、これで内定を頂くのは、至難の業だと思います。

 


「審査開始から学位取得までの毎日」

赤字は重要なイベント。青字は学位申請者が準備する事項。

●2002年12月25日(水)

翌日の教室会議のため、先生に、学位論文草稿をファイルに綴じたもの(2部)、 著者研究業績一覧(1部)、これまでの論文(1セット) 履歴書(1部)を提出。数百頁くらいの印刷物になるので、注意。

 

●2002年12月26日(水)

教室会議で先生が新規提案。

※この時点では、上述のとおり、論文誌投稿中でも大丈夫かもしれないが、 学位申請時には、「採録決定」が条件となる。

 

●2003年1月9日(木)

予備公聴会。10:45~1時間程。学科の先生方の前で発表し、 審査して頂く。執筆中の学位論文をファイルに綴じたもの2部、 業績論文一式をファイルに綴じたもの2部 発表スライドの縮小コピー10部、博士論文概要書10部、 履歴書10部。 数百頁ほどの書類となる。

●2003年1月9日(木)

予備公聴会直後に学位申請博士論文概要書(1部)、学位申請書(先生に書いて頂く) を大学院 工研事務所に提出。

実は、予備公聴会終了後、会社の打ち合わせに向かおうとしていたところ、 今日中に書類提出しないと、今年度の卒業ができないと、 先生方にご指摘を受けた。この場で初めて気がついて、あわてて 研究室に戻り、博士論文概要書を書きました。その最中に、予備公聴会審査の合格判定を頂く。 学位申請書は、先生が秘書の方にお渡しになっていたので、 書類はすべて揃い、何とか申請完了。 (しかし、本当に運が良かった。)

 

●2003年2月6日(月)

公聴会。10:00~1時間程。学科の先生方、研究室の学生の前で発表し、 審査して頂く。執筆中の学位論文をファイルに綴じたもの2部、 業績論文一式をファイルに綴じたもの2部 発表スライドの縮小コピー25部、博士論文概要書10部、 履歴書10部。数百頁ほどの書類となる。defence というように、たくさんの厳しいご質問と、 ご示唆・ご助言を頂いて、とても勉強になる。

 

●2003年2月25日(火)

論文製本博士論文の最終原稿1部論文の表紙原稿1部(英語タイトルを書くことを注意)を持参して、論文の印刷会社に持っていく。昔から、理工学部近くにあった、「理工社」さんは、今年から、早稲田通りと明治通りの交差点から、早稲田通りを早稲田側に10メートルほど進んだ左側の1階に、移動していましたので注意!!(この情報を知らずに、長時間調べていました・・・)

内金を 1万円ほど渡して、まずは最小限必要な15冊ほどを印刷。(12万円程度)。そのうち2冊は、3月上旬の工研委員会審査用で、背表紙の下部の余白を 5cm 空けなくてはならない。(書庫から論文が落ちないようにしている手前の「板」が著者名を隠してしまわないように、 5cm ということらしいです・・・)

 

●2003年3月4日(火)

理工社さんに製本された論文を取りに行く。 金字製本なので、版を作って印刷するまでに1週間ほどかかるので、注意。先生に提出する審査用の論文1冊のみを手に持ち、 後は、自宅に郵送してもらう。

 

●2003年3月6日(木)

先生に、審査分科会での審査用の論文1冊を提出。 即日、審査分科会の審査に合格した旨を頂く。

●2003年3月10日(月)

先生に、製本された論文1冊を謹呈し、お世話になったご挨拶を行う。

●2003年3月17日(月)

理工学部の事務所に「最終工研委員会審査用の論文2冊(背表紙に 5cmの下余白があるもの)」、研究論文を電子媒体に格納したもの(CD-R)1を提出 (本年度からマイクロフィッシュが不要となりました)。この論文が1週間後に、最終審査にかけられます。


●2003年3月24日(月)

工研委員会。副査の先生に電話にて、お伺いして 「合格」を確認する。学位取得

 

こうして、 ぎりぎり課程内に学位取得ができました。 博士論文は、その後、必要に応じて増刷しています。


「学位取得からの毎日」

●2003年3月25日(火)

一般の方の学位授与式&卒業式。私は残念ながら、出ることができませんでした。前日の学位決定者は、書類とマントの採寸が間に合わないからという理由だそうです・・・

●2003年3月27日(木)

副査の先生に製本された論文を持参して、ご挨拶。

●2003年4月15日(火)

副査の先生に製本された論文を持参して、ご挨拶。

 


●2003年9月20日(火)

ついに卒業式を迎えました。周囲の方々には、本当に心配を掛け続けておりましたので、感無量の思いでした。

学位取得までに、ご指導頂きました教授、諸先輩方、研究室諸氏をはじめ、私を支えてくださった皆様には、心より御礼申し上げます。 ありがとうございました。

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